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【戦国名将一日一言】敵将・秀吉を評価せよ(小早川隆景)

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こんにちは。アスター(@august_spica)です

 

毎日、本当に暑いですね

 

夏は「こんにちは」の代わりに、こう挨拶するのが定番ですが

幕末の英雄・大村益次郎は違いました

 

「夏は暑いものでございます」

なんと、声をかけた相手にそう言ったんですよ

 

戦国名将一日一言 (PHP文庫)

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「熱いからどうした」と言わんばかりの豪胆さですが

西国出身の偉人は、肝が据わっているのかも知れません

 

大村は長州(現在の山口県)の人ですが

お隣の安芸(現在の広島県)にもスゴい人がいました

 

第8回目の今日は小早川隆景の名言を紹介します

 

 

小早川隆景とはこんな人

 

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画像出典:信長の野望蒼天録

 

小早川隆景(こばやかわたかかげ)

生年:1533

没年:1597

役職:豊臣政権五大老のひとり

配偶者:問田大方(小早川正平の娘)

備考:兄の吉川元春とともに毛利両川と呼ばれる

 

戦国名将一日一言より本文を引用

 

毛利元就の息子の隆景は

瀬戸内海の水軍の名門・小早川家の養子になって小早川を名乗った

織田信長が殺された時

その重臣の羽柴秀吉は、毛利軍と対峙している最中であった

 

 

高松城水攻めと本能寺の変

 

天正10(1582)年6月2日

 

戦国乱世を終わらせるのは

時間の問題と思われた織田信長が

茶会のために京都の本能寺に宿泊していたところを

家臣の明智光秀に襲撃されました

 

信長は志半ばでこの世を去ったのですが

明智光秀以外の重臣たちは、各地で敵と対峙していたのです

 

織田軍の出世頭の羽柴秀吉は

毛利軍の最前線である備中高松城を水攻めにしていました

 

そこへ使者がやってきて、京都での変事を秀吉に告げたのです

ことの重大さを知った秀吉は、毛利軍と交渉しました

 

「わが主君が謀反で亡くなられた

これからわしは明智光秀を討つため和睦をしたい」

 

しかし毛利軍の吉川元春は和睦に反対でした

彼は明智光秀と連携して、織田軍を挟み撃ちにしたかったのです

 

これに対して小早川隆景は

秀吉との和睦を受け入れることを主張しました

 

「なぜじゃ?わが毛利にとっては絶好の機会ではないか」

そう息巻く吉川元春に隆景は答えました

 

『いまこの国でもっとも大切なのは、早く戦を終わらせ平和にすることです

その力を持つ武将は、私の見たところ羽柴秀吉しかおりません

秀吉は織田信長の配下ではありますが、実績があります

おそらく近いうちに、天下は秀吉のものになりましょう

父の元就も毛利は東へ野望を持ってはならぬと言いました

いまこそ秀吉と和議を結ぶべきではありませんか』

 

結局、小早川隆景のこの意見が通って

毛利軍は秀吉と和睦することになりました

 

このあと秀吉は「中国大返し」と呼ばれる強行軍で移動し

「山崎の戦い」で明智光秀を破ったことは有名です

 

秀吉が天下人になることができたのは

小早川隆景の先見の明のおかげでしょうね

 

父も息子も勝ち組につく

 

とても優秀な小早川隆景ですが

残念なことに後継者には恵まれませんでした

 

毛利家から小早川家に婿養子に入ったために

奥さんに遠慮して側室を娶らなかったからなんです

夫婦仲が良かったという説も濃厚です

 

そこで父の元就が晩年に儲けた秀包を養子に迎えて

自身の跡継ぎとしました

 

ところが文禄3(1594)年

秀吉が毛利本家に「秀俊」を養子縁組させようと画策しました

 

隆景の甥で主君でもある毛利輝元には

40歳をすぎても跡継ぎがいなかったからです

 

「毛利家が秀吉に乗っ取られる!」と危機感を覚えた隆景は

輝元とこのピンチについて相談しました

 

そこで一族から秀元を養子に迎えて

秀吉が送り込もうとした「秀俊」を、小早川家に引き取ったのでした

 

実はこの「秀俊」こそ

関ヶ原で東軍に寝返った「小早川秀秋」なんですよ

 

「小早川秀秋」は関ヶ原の戦いの2年後に

21歳の若さで亡くなってしまいますが

周囲の悪評に耐え切れず、お酒に逃げていたからだと言われています

 

彼が義理堅い養父の隆景に似ていたら

関ヶ原で裏切ることはなく、豊臣家に忠義を尽くしたでしょう

 

賢人と称えられた隆景には

もう少しだけ、長生きしてもらいたかったですね

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございます
ではまた、次の記事でお会いいたしましょう